大阪市内のだんじり祭り鍼灸師・段上 功のブログ

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痛み止めを服用しながら投げ続けた北海高校・大西くん。果たして甲子園に球数制限は必要なのか?

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高校野球に球数制限は必要なのか?】

 第98回全国高校野球選手権大会は、作新学院(栃木)が54年ぶり2度目の優勝で幕を閉じた。優勝した作新学院は、最速152キロの速球を投げ込むエースの今井くんが、全5試合に先発し4完投。

 一方、準優勝の北海(南北海道)もエースの大西くんが、準決勝までの4試合を全て一人で投げ抜き、5試合全てに登板して527球を投げた。3回戦辺りから肘の違和感が出始め、痛み止めを服用しながら試合に臨んだが、決勝では甲子園で初めてマウンドを途中で譲った。

 甲子園という最高の舞台で繰り広げられる熱戦。プロを嘱望されたエース同士の投げ合いというのは、選手だけでなく、それを観ている野球ファンにも感動を与えるものである。ただ、その中にどうしても湧き上がってくる怪我の問題。将来ある若者に対し、リスク回避のための球数制限は、果たして必要なのだろうか。

 

【一人の投手に掛かる負担が大きい高校野球

 今年の「高校BIG3」と呼ばれた横浜(神奈川)の藤平くん、履正社(大阪)の寺島くん、花咲徳栄(埼玉)の高橋昂くんは、いずれも敗れた試合で先発をしなかった。代わりに別の投手が先発をしたが、流れを掴めず序盤に失点。その失点をひっくり返すことが出来ずに早々と姿を消してしまった。

 

 高校野球では、日程的な問題、戦力的な問題もあり、プロ野球とは違って一人の投手に頼って勝ち上がることが多い。それは今夏の決勝戦を見ても明らかである。

 

また、過去を振り返ってみてもそうである。甲子園で活躍した松坂大輔田中将大斎藤佑樹安楽智大。彼らが甲子園で投げた球数は、767球、658球、948球、772球(センバツ)。斎藤は7試合、松坂と田中は6試合、安楽に関しては5試合での結果である。この数字だけを見ても、高校野球が終わる頃に必ず問題が浮き上がってくるのが頷ける。

 

【甲子園で投げるという意味】

 将来を約束された投手たちが、怪我のリスクを顧みず、なぜそこまで投げ続けてしまうのか。そして監督が、なぜそこまで一人の投手を投げさせ続けるのか。その答えは、日本の野球少年だけが抱く「特別な想い」があるからではないだろうか。

 

それは、高校球児の目指す「夢」が、プロ野球選手になることではなく、甲子園の舞台に立つことだからではないだろうか。またその舞台に立つことが出来た選手の「夢」は、甲子園で優勝をすることに変わる。だからこそ、少々の痛みがあってもマウンドを譲らないという気持ちが生まれてくるのではないだろうか。

 勝ち上がった高校にしか立つことが許されない場所で、選ばれた選手にしかプレー出来ない特別な場所。その舞台に立つことが出来た「背番号1」を背負った投手の気持ちというのは、我々には計り知れないものがあるように感じる。

 

【決勝戦で投げないという選択肢】

 あと一つ勝てば「優勝」という二文字を手にすることが出来る決勝戦。それまで完投を続けてきた疲労困憊のエースが居た時に、「先発をさせない」という決断が果たして出来るのだろうか。そして、背番号1を背負ったエースが他の投手にマウンドを譲るのだろうか。

恐らくそんな選択はしないように感じる。勝っても負けても3年間の最後になることがわかっているその試合なら、仲間のため、自分のため、たとえ腕がちぎれようとも投げることを志願するのではないだろうか。もし、そこで本当に投げられなくなったとしても、生涯を振り返った時に悔いる出来事にならないのではないだろうか。それだけ甲子園という場所は球児たちにとって特別な場所である。

 

【前途ある未来を摘まない対策】

 そうとは言っても、将来有望な選手たちの芽を摘むことは野球界にとって良いことではないように感じる。例えば、日本ハム大谷翔平投手が、高校時代に肘を壊していたとしたら、二刀流どころか日本最速のストレートも目にすることが無かったということである。そう考えるとやはり寂しい。甲子園で活躍した選手が日本のプロ野球で活躍し、また、海を渡ってメジャーで活躍する、そんな姿を野球ファンは見たいものなのである。だからこそ、怪我をしないために「球数制限」を設けるべきなのではないだろうか。

日本の野球に根付く「先発完投」もたしかに美しい。そして、その全力で投げ込む姿がまた人々の感動を生む。だが、その美学をこのまま追及し続けていいのだろうか。前途ある高校球児を救うため、そろそろ考える時期にきている。