だんじりの後輩へ向けた最期のメッセージ。
院長の段上 功(だんじょう いさお)です。
昨日、そして本日と、たくさんの方の様々な想いを感じる2日間となりました。
涙もあって、笑いもある。そんな2日間。
先日、ボクのだんじりの後輩である前田一彩くんが、天国へと旅立ちました。
29歳という若さでの別れは、受け入れるにはまだまだ時間の掛かる出来事です。
ボクが毎日更新しているブログ。
本日のブログを書くに当たり、彼の同級生でもなければ、高校・専門学校もまるで違うこのボクが、一彩くんのことを書くのは何か少し抵抗がありました。
ですが、違う投稿をしようにも、何も他に浮かんで来ないほど彼への想いが強くあるので、少しだけ書かせて下さい。
明るくて、陽気で、楽しいことが大好きだった一彩くんのために、
お父さんはボクたちに、
「喪服ではなく、一彩と普段会っていた時の格好で来てください。」
と、そう連絡して下さりました。
お兄さんは、阪神タイガースのユニフォームを着て、
お父さんは、白のニット帽を被って2日間とも過ごされていました。
だからボクたちも、今日は法被を着て参列しました。
通夜の後、一彩くんを囲んで、彼が生前好きだった食べ物や飲み物を、私服を着た友達や縁のある方たちが、笑いながら騒ぐ光景は、誰かが亡くなった後の集まりではないように感じました。
この話を知らない方からすれば、非常識と捉えられるかもしれませんが、それこそが、お父さん、そしてご家族が望んでいた形だったのではないでしょうか。
高校を卒業後、お父さんと同じ職業である美容師の道を選んだ彼は、仕事場として、大阪ではなく東京を選びました。
いつか、自分でお店を持つ夢を持って。
ボクも同じ時、鍼灸の道に進み、弟子入りし、将来の開業を夢見ていました。
共に、地元で開業する夢を持ち、将来の話をしていたのを今でも鮮明に思い出します。
ボクが先に開業をしてからは、
毎年送り合う誕生日のメッセージには、
「そろそろお店出すのー?」とか、
「鴫野が一彩くんを呼んでんでー!」などと、
いつも冗談交じりにやり取りをしていました。
彼が東京に行って10年目を迎えました。
後で聞いた話では、お父さんと一緒に、お店を出す話をしていたそうです。
「だんじり」に参加しながらお酒が飲めないという共通点があり、
二人でよくウーロン茶で乾杯したのを覚えています。
「段上さん、また鴫野に帰ったらウーロン茶で乾杯しましょう!笑」
そんな彼との約束を果たせぬまま、彼は遠くへ旅立ってしまいました。
通夜で、参列者を代表して挨拶をした松山くんは、
「去年、一彩が、ボクと2人で福岡旅行に行く段取りをしてくれていたのに、ボクは仕事や引っ越しの忙しさから断ってしまいました。」
『「また来年の夏に必ず行こうな!」と、そんな風に約束をしていたのに、叶わなくなってしまいました。』
「だから、お父さん、お母さん。今年の夏に、一彩の遺影をボクに貸してください。そして、一彩と2人で福岡へ旅行に行って約束を果たしてきます!」
そんな風に話していました。
松山くんやボクだけでなく、様々な人の心を動かす存在であった一彩くん。
小学校の時は、キライだったと話す一彩という名前は、
「一つの人生に、たくさんの彩を添えてほしい」
そういう思いで付けられた名前だったそうです。
その名前の通り、短い人生ではあるものの、人生の中でたくさんの花を咲かせ、
たくさんの方に元気や勇気を与えてくれました。
きっと天国でも、今までと同じように周りを笑顔にし、元気を与える存在になるはずです。
そんな一彩くんの最期らしい、涙の中にも笑いがある楽しい通夜・葬儀でした。
親友が涙をこらえて捧げたメッセージは届いているでしょうか。
先輩や同級生が必死に叩いた、だんじり囃子は届いているでしょうか。
お父さんが君の前で吹いたハーモニカの演奏は届いているでしょうか。
「生あるものは、必ず死あり」という言葉があるように、ボクたちにもいずれ旅立つ時がやってきます。
その時にまた、果たすことが出来なかったみんなとの約束を果たしましょう。
今までありがとう。本当にお疲れ様でした。