大阪市内のだんじり祭り鍼灸師・段上 功のブログ

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施術ボランティアとして、宮城県を訪れた際に見た6年前のあの景色。

こんにちは!大阪市城東区鴫野にある段上はり灸整骨院、野球好き院長の段上 功(だんじょう いさお)です^^

WBC日本代表が次に対戦するオランダ代表は、内野陣が全て現役のメジャーリーガーという盤石の布陣。中でもショートを守るドジャースのシモンズ選手の守備はメジャーでもトップクラスなので、どんな守備を見せるのか楽しみにしたいですね。

 

東日本大震災後の5月と7月、宮城県へ】

「 この海の静けさがまた、憎たらしい。 」

そんな言葉を聞いてからはや6年が経ちました。

 

それを発したのは、6年前に大阪から「 施術ボランティア 」として宮城県へ向かったボクたちを受け入れてくれた鍼灸院の先生。

2011年3月11日に起こった東北大震災。

その影響で起こった津波が、ものすごい勢いで家を飲み込んでいく様子や、身を寄せ合いながら避難所で生活する方々の映像をテレビで目の当たりにし、当時勤めていた会社の社長が「 我々にも出来ることがある!みんなで宮城県へ行こう!! 」と声を挙げました。

4月の終わりに「 ゴールデンウィークの5月アタマに行く 」という突如決まった案ながら、10名ほどが参加を表明。もちろんボクも参加を決めました。

ただ、当時はまだ道も整備されておらず、ボランティアを受け入れてくれる施設すらもありませんでした。

そんな時に快く受け入れて下さったのが、自身も被災された宮城県にある樋口鍼灸院の樋口先生。2011年5月のゴールデンウィークと7月の計2回お世話になりました。

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【あの時、宮城県で見た景色】

大阪から車2台を走らせ、宮城県へ向かいました。

どれぐらいの時間が掛かったかはあまり覚えていませんが、相当な時間が掛かったのを記憶しています。

宮城県に入ると、高速道路がひび割れていて、地震の大きさをそこで認識することが出来ました。ただ、宮城県の繁華街である仙台市に着いた時には、テレビで見ていた光景よりも被害が少ないように感じました。

「あれ?思っていたのと違う」なんて心の中で思いながら車を進めていると、松島という地区に入ったと同時に、絶句するような光景が飛び込んできました。

 

辺り一面の建物が何一つ無かったんです。

 

あの時の衝撃は今でも忘れません。

示し合わせたかのように2台とも車を止め、しばしの間、その情景をただただ茫然と眺めていました。

それから車を進めていけばいくほど被害は大きくなっていきました。そこに建っていたであろう家が建物とは呼べないぐらい小さな形になり、車は川の中をはじめあちこちに散乱。大切にしていたであろう古いアルバムが泥まみれになって道端に転がっていました。

 

石巻市では、大きな大きな船が打ち上げられ横たわっていました。それも、本来ならば水が入ってくるようなところではない場所に。

女川町では、4階建てか5階建てほどあるマンションの上に車が反対向きになって乗っかっていたり、20メートル以上もある高台にまで海水が流れ込んだりしていました。

ここが日本だと認識出来ないぐらい異様な光景でした。

 

ボクたちは「 施術ボランティア 」という形で3日間に渡り、200名前後の方に治療とお話をさせていただきましたが「 本当に何かチカラになれたのかな 」と感じる気持ちは今でも強いです。

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【ボクたちが今出来ること】

海産物が豊富で、この地域に住む方たちを支え続けた海。そんな穏やかな海と共に歩んできたこの街が、

「 まさかその海に飲み込まれるなんて。それなのに、それなのに、今日見た海はいつもと変わらない。この海の静けさがまた、憎たらしい! 」と涙を堪えながらボクたちに想いを語って下さった樋口先生のその言葉は今でも忘れません。

 

ボクたちに今できる事はその出来事を忘れないこと。

そしてそれを後世に伝えていくこと。

何か少しでも復興支援を継続していくこと。

 

現地でお金を使うことも復興支援の一つだと思います。

それからまだ一度も宮城県には行けていないので、いつかはまたその地に赴き、名産物である海産物をたらふく食べに行きたいなと思っています。

特別なことも言えませんし、特別な事も出来ませんが、3月11日を迎えて、今思うことはそういったことでした。