年に一度、せめてお盆の時ぐらいは生きていることに感謝したい。
【生かされていることに気付く】
今ボクたちが生きているこの瞬間というのは、何も当たり前のことではありません。
本当は、感謝しなければいけないことなんです。
だけど、人間はどうしてもそれを忘れてしまう。
生かされていることの有難さを忘れ、生き急いだり、大切な一日を無駄に過ごしたりしてしまう。
きっと、今日が最期の一日だとわかっていたら、今のような過ごし方をしていないじゃないかなと感じる日もあるぐらいです。
先日、ボクのだんじりの後輩が29歳という若さで命を絶ちました。
このブログでも取り上げさせて頂きましたが、
年齢が年齢だけに、亡くなるなんて誰も思っていませんでした。
ですが、実際には亡くなってしまったんです。
亡くなってしまったのがたまたま彼であっただけであって、それはボクらにだって起こり得ることです。
「生きていることは当たり前なことではない。」
彼の旅立ちを見届けた日にそう強く感じたはずなのに、数日もすれば、そういう大切な気持ちが少しずつ薄れていってしまう。
人間とはそんな弱い生き物なのかもしれません。
忘れてしまう分、それを思い出す必要があるとボクは思います。
詳しいことはわかりませんが、そういう意味もあって「お盆の法要」というのがあるのかもしれません。
年に一度、亡くなったご先祖様を偲び、そして思い出し、生きていることに感謝する。
本当に大切な行事だと思います。
ここへは毎年お盆の時期になると、必ず足を運びます。
その場所には、ボクが小さかった頃に優しくしてくれたおじいちゃん、おばあちゃんが眠っています。
だからここへ来ると、何か特別な気持ちになります。
それと同時に、生きていることの有難みを思い出させてもらえるような気がするんです。
人の記憶は永遠に保つことが出来ません。
だからせめて年に一度ぐらいは、こうやってその気持ちを思い出すことを大切にしたいなと思います。
生きていることは当たり前ではない。
だから生かされていることに感謝し、今を大切に、楽しく生きようと強く想います。
お墓参りを終え、ボクが感じたのは概ねそんなことでした。