大阪市内のだんじり祭り鍼灸師・段上 功のブログ

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「段上、抜鍼しといてくれ!」という言葉のウラにあった師匠が伝えたかったこと。

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「段上、抜鍼しといてくれ!」
師匠から放たれたその言葉に、それだけの重い意味が含まれているとは、当時のボクには全く分かりませんでした。

鍼灸の師匠との出会い】

「人のカラダに携わる仕事がしたい」との想いで大学を中退し、カイロプラクティックの学校へ進んだものの、選んだところは決して良い学校ではありませんでした。

技術の練習は多少あるものの、肝心のカラダのしくみに関する勉強がほとんどと言っていいほどありませんでした。

解剖学・生理学といった本来学ぶべきカラダについての授業は各1~2日程しかなく、1年近く学んだ段階で、知識は一般の方に毛が生えた程度。

その学校への限界を感じ、「こんなレベルで人のカラダなんか治せない!」と確信し、次の道を模索していました。

ちょうどその頃、外部から講師で来ていた一人の先生に出会い、ボクの治療家としての運命が変わりました。

その方は、オリンピック・女子バレー日本代表から誘いが来ていた程の方で、初めてお会いした時は、大阪の関西医療学園の非常勤講師をされていました。

少しのやり取りがあった後で「鍼灸の道に進まへんか?」と声を掛けていただきました。その時のやり取りの様子はコチラをご覧ください。

カイロプラクティックの学校を経て鍼灸師へ。4年間弟子入りしていた師匠との出会いと、ボキボキする矯正をしない理由。 - 大阪市内のだんじり祭り鍼灸師・段上 功のブログ

鍼灸の道に進むことになったボクは、それから約4年間、その先生の下で弟子として勉強させていただきました。

 

ただ、弟子入りはしましたが、初めはやはり何もさせてもらえませんでした。

会話をすることはあっても、お会計の場所に立つこともなく、患者さんに触れることなんて以ての外でした。
本当にただ見ているだけ。

一度だけですが「ここに居る意味があるんだろうか?」なんて思ったことも正直言ってありました。
ただ、学ばせていただいている環境に感謝し、師匠や兄弟子の治療や会話をずっと見聞きしていました。

 

そんな毎日を繰り返し、6ヶ月程が経った頃、師匠から思ってみない言葉が発されました。

「段上、抜鍼しといて!」
抜鍼とは、読んで字のごとく「鍼を抜くこと」。
唐突に言われ、初めて鍼を抜くコワさがありつつも「まぁ、抜くだけなら誰でも出来る」とタカを括って、抜鍼をおこないました。

 

ですが、抜鍼を終えた後に5つ年上の兄弟子から声を掛けられました。

「何も考えずに抜くな。」という一言を添えて。

 

当時のボクはその真意がわかりませんでした。

 

後からわかったことですが、師匠が打った鍼を抜くという行為は、メジャーで3000本以上の安打を放っているイチロー選手がバッターボックスに立った後を掃除するような感覚だったんです。

ちょっと大袈裟かもしれませんけどね。笑
イチロー選手が打った後のバッターボックスを見て、何を感じるか。兄弟子が言いたいのはそういうことだったんです。

 

たかが足跡、されど足跡。


視点を変えると「発見」がいくつもあります。

もし、バッターボックスを確認することが出来たなら、スタンスの幅が思ったより狭いなとか、踏み出した足が真っすぐではないことだとか、一歩目の位置がこんなところにあるのかなど、傍から頂いていたイメージとは少し違うことに気付くはずです。


それは師匠が打った鍼を抜くことも同じ。

鍼を打つ場所、角度、深さ、使うツボ。
なぜこの場所に、この角度で、この深さで、どういう意図があってこのツボを使うのか、一つ一つ考えながら鍼を抜けと。
それが「何も考えずに抜くな。」という言葉の真意であることに後になって気付きました。

 

そうやって考えながら何度も抜鍼をしている内に、師匠が鍼を打つ前に「ここに打つんやろうな~。」とか、抜鍼をする時に「やっぱりここやんな。」とか、だんだんと師匠の頭の中がわかるようになってきました。
こういう症状の時はここに打つのかとか、こんな患者さんの時はこの角度でこの深さなのかとか、前回はこのツボだったのに回復してくるとこのツボを使うのかなど、少しずつ見えてくるものがありました。
それを自分のカラダや家族のカラダ、友達のカラダを借りて体現している内に、知らぬ間に鍼を打てるようになっていました。

もちろん時間は掛かりましたが、それを続けてきて現在に至ります。

 

師匠からは弟子入りした当初から「見て学べ、わからんかった調べろ、出来るまで稽古しろ。」と、それだけしか言われませんでした。
だから「ああした方がいい、こうした方がいい」なんていうアドバイスは4年の間、一度もありません。

そしてボクからも、師匠に質問を投げ掛けることはありませんでした。

 

本当に何も教えてくれませんでしたが、今思うと「段上、抜鍼しといてくれ!」というあの言葉が、師匠からの何よりの教えで、伝えたかったことだったのかもしれません。

感性を働かせること打つ鍼には一本一本に意味があって一つとして無駄な鍼はないということは、その師匠に巡り合うことがなかったら、もしかしたら今も気付いていなかったかもしれません。

つくづく良い師匠に巡りあったなって感じます。

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以前にも書きましたが、弟子時代に師匠が使っていた赤と紺と緑のタオル、師匠がしていた半年ごとにスリッパを買い替える習慣を、開業以来ずっと変わらずに続けているのは、師匠からの教えを忘れたくないからなんですよね。

いつまでもその頃のキモチを忘れないよう、これからも継続していきたいと思います。
洗濯をしすぎて少し薄くなったように感じるタオルを畳みながら思ったのはそんなことでした。